土木遺産 野蒜築港①
2010年7月3日
宮城大学院生の方々宮城大学宮原育子教授らと
宮城県内にある「土木遺産めぐり」を して来ました
私などは・・
「野蒜」ときくと・・
「海水浴」「元旦の朝日」・・・そして 「海鮮」 と いうぐらい
矢本で ブルーインパルスですかね~
そんな 野蒜では
今から130年前にとても大きな「国家プロジェクト」が
行われていたのだそうです
明治維新の立役者でもある「大久保利通」が
「海運」「水産業」「貿易」は国民生活に欠かせないとして
近代国家日本をつくるため 港湾整備をスタートする
その「第1歩」が なんと!!「野蒜」だったと・・・・・・
ここは 野蒜築港跡 「北上運河」に近い「下の橋」
この橋で「旧市街地」と「市街地跡」を結んでいたそうです
このレンガ積みの手法は「イギリス積み」という
強固なものだっそうです
橋げたは「3本」
幅は広いのですが・・・
明治時代なら・・馬と牛と人 ぐらいが 通るものだと思うので
こんなに 橋幅が必要ではないかと思うですが
自動車社会も見越していたのでしょうか?
後ろにチラッと見えるのが 現在の 「トラック」です
こうみても・・・橋幅があるのが わかりますか?
宮城大学院生の方々宮城大学宮原育子教授らと
宮城県内にある「土木遺産めぐり」を して来ました
私などは・・
「野蒜」ときくと・・
「海水浴」「元旦の朝日」・・・そして 「海鮮」 と いうぐらい
矢本で ブルーインパルスですかね~
そんな 野蒜では
今から130年前にとても大きな「国家プロジェクト」が
行われていたのだそうです
明治維新の立役者でもある「大久保利通」が
「海運」「水産業」「貿易」は国民生活に欠かせないとして
近代国家日本をつくるため 港湾整備をスタートする
その「第1歩」が なんと!!「野蒜」だったと・・・・・・
ここは 野蒜築港跡 「北上運河」に近い「下の橋」
この橋で「旧市街地」と「市街地跡」を結んでいたそうです
このレンガ積みの手法は「イギリス積み」という
強固なものだっそうです
橋げたは「3本」
幅は広いのですが・・・
明治時代なら・・馬と牛と人 ぐらいが 通るものだと思うので
こんなに 橋幅が必要ではないかと思うですが
自動車社会も見越していたのでしょうか?
後ろにチラッと見えるのが 現在の 「トラック」です
こうみても・・・橋幅があるのが わかりますか?
Posted by kyoko san at 2010年07月04日 11:45│Comments(0)
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